ケーブルTVで映画を楽しむ「カツベン」
映画に音がなかった時代
楽士の奏でる音楽に合わせ
自らの語りや説明で彩った活動弁士(カツベン)
カツベンを夢見るひとりの青年の物語
子供のころ、活動写真小屋で観た活動弁士にあこがれていた染谷俊太郎。心を揺さぶる活弁で観客を魅了したいという夢を抱いていたが、今では、ニセ弁士として泥棒一味の片棒を担いでいた。そんなインチキに嫌気が差した俊太郎は一味から逃亡し、とある小さな町の映画館<青木館>に流れつく。青木館で働くことになった俊太郎は、ついにホンモノの活動弁士になることができると期待で胸が膨らむ。しかし、そこには想像を絶する個性的な曲者たちとトラブルが待ち受けていた!俊太郎の夢、恋の運命はいかに!?(公式サイトストーリーより抜粋)
古き良き大正時代。活動写真小屋で少年は活動弁士に憧れ、少女は女優を夢見ていた。10年の歳月が流れ、少年は泥棒一味に入り、泥棒の金を持ち逃げした。泥棒一味は少年の居場所を探し、刑事は泥棒一味を追っていた。逃亡劇の結末は?活動弁士の夢は?女優の夢は?すべての結果は映画を観てのお楽しみ。日本映画専門チャンネル
2021.5.14(金)ワクチン接種の日程決まる
地元の自治体のコロナワクチン接種の日程が発表された
65歳~74歳は5/17から接種券の発送がはじまり
6/7から電話、パソコン、スマホから予約ができ
6/21から接種が集団・個別・その他の3種類の会場で実施される
対象者は約28000人。ネット予約は24時間体制。
朝起きて朝食をつくり最終回の朝ドラを観ながら細君と食べた。新聞を読んでから散歩兼図書館へ出かけた。
家に戻り、細君とお茶してから、買い物へ出た。昼食はのり弁等を購入し食べた。
15時まで読書をして完読した。その後は大相撲を観戦した。
晩酌して、夕食はソーメン、デザートはジューシーフルーツ。TVを観ながら過ごし、時々転寝してから風呂に入り、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。
5/13時点の実行再生産数は1.24で感染が拡大していることを知らせている。地元の感染者も4名。感染したら命に係わるので今は自粛が一番。騒がずに待っていれば朗報は届く。
読書を楽しむ「エリエット・アベカシス 30年目の待ち合わせ」
彼女はアメリ、彼はヴァンサン、ほかに3名
5人はソルボンヌ大学の学生で
4人はアパルトマンをシェアしていた
5人はSOS人種差別運動で知り合いソルボンヌ広場でコーヒーを飲んだ。ヴァンサンは経済学部の学生で、アメリは文学部の学生で教職をめざしていた。ふたりはビール一杯が夕食になり、そのあと朝まで開いているカフェで両親のことや願望やあこがれや友人について語り合った。ヴァンサンには入院中の27歳の兄がいた。アメリは3人姉妹の真ん中だった。ふたりは20歳でこのときから二人の関係ははじまるはずだった。ところが、そんなことはぜんぜん、起こらなかった。
ヴァンサンはソルボンヌ広場のカフェに待ち合わせ時間(17時)の10分前に着いたが彼女は来なかった。1時間近く待ってその場を離れた。アメリは翌日友人たちと列車と自転車でヨーロッパ旅行に出発することになっていた。アメリがカフェに走っていったときヴァンサンの姿はなかった。彼と再会するまで10年待つことになった。
1999年大晦日。アメリは30歳で高校の文学教師になっていた。親友のクララとパーティへ行ってヴァンサンに再会した。どうしていたか、これからどうするつもりかおしゃべりした。ヴァンサンは金融とコンサルタントの世界で働いていた。そして、女優のソフィと結婚していた。アメリは本屋の経営者が店舗の売却を決めたときに買取を申し出て本屋の仕事に専念した。ヴァンサンにはジュールという息子が生まれた。
2003年5月アメリは35歳になり外科の研修医ファブリスと同棲しプロポーズされウィと答えた。2005年37歳のヴァンサンはソフィとの生活に息がつまっていた。2006年アメリは二人目を出産したが夫は下品で軽蔑的な男になっていた。夫にFBを教えてもらい知り合いを探したらヴァンサンを見つけメッセージを送った。ふたりは2008年に会う約束をした。レストランで近況を話した。アメリはヴァンサンが妻を愛していないことを知った。2009年アメリは夫の浮気を知り離婚した。アメリはカフェで年下のジェレミーと知り合い妊娠したら彼は消えた。生まれるはずの子は流産した。傷心のアメリは親友のクララと再会しヴァンサンの噂を聞いた。奥さんと別れてパリに住んで入りことを知りメールでヴァンサンに今何をしているかたずねた。彼は”待っている”と返事をした。
2018年5月。アメリとヴァンサンはソルボンヌ広場のカフェで会った。人生は出会いや愛などそっちのけで、ままならない運命へいやおうなしに押し流される。30年前、彼がふれるのをためらった手をそっと握られた。ふたりは30年前にしていたはずの会話を再開した。
すれ違ったまま別々の人生を歩むことになった男と女の物語は、夫婦関係においても意思の疎通や相互理解がままならないことを教え、思い込みや遠慮、価値観や認識の相違をあぶり出す。人生における過ちの半分は行動の欠如、半分は性急さによる。