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ケーブルTVで映画を楽しむ「トランセンデンス」

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もし、コンピュータに天才科学者の 頭脳をインストールしたら?

それは、世界を救うはずだった

死すべき運命だった科学者ウィル。 しかしその意識は、死の間際に妻エヴリンによってスーパーコンピュタへ とインストールされた。 意識だけの存在となったウィルは、オンラインに繋がると軍事機密、金融 政治から個人情報まで、世界中のあらゆる情報を手に入れ、究極的な 進化を遂げる。 そしてナノテクノロジーを駆使し、現実の世界にまで及んだ彼の力は、遂に 生命までコントロールし始めた。 常人を遥かに超える力で増殖し、拡散し、支配するウィルに「彼は私の愛した 人なの?」と信じる心が揺らぎ始めるエヴリン。 まるで神のごとき力を手にし、変わり果てた男に世界は恐怖を感じ、密かに 抹殺計画が進行し始める。 そしてエヴリンにも選択のときが・・・。 (チラシより抜粋)

トランセンデンスとは、人工知能が人間の知性を越える現象のこと。 人類に訪れる新たな脅威を映像で確認したいひとにお勧めです。ザ・シネマ

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2020.11.18(水)Gotoを利用した、その後

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暖かい日がつづいているが季節は落ち葉の秋

枯れ葉が大量に落ちるように感染者が拡大している 

Gotoを利用して旅行をしてから本日で10日が経過した。体調に変化はなく体温も36度台で安定している。一緒に行った息子たちも普通に働いている。自治会の会議の案内が来たが14日間を経過していないので参加を自粛する連絡をした。それなりの気遣いをすればいいような気がする。

起きると玄関にゴミ袋に入ったゴミが置いてあるので捨てに行った。朝食をつくり細君と朝ドラを観ながら食べた。新聞を読んでから散歩へ出た。

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家に戻り細君とお茶した。海外ドラマを観ながら過ごし、細君は買い物へチャリで出た。

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昼食は買い物から戻って細君が焼きそばをつくり食べた。細君はサスペンスドラマで過ごし、わたしは短編を読んで過ごした。不思議な世界の夫婦の話。

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14時半からケーブルTVでシリーズ映画を観て、それから大相撲をTV観戦した。

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ニュースでは感染者が過去最大を記録した。晩酌して、銀鱈の西京漬けをおかずに夕食を食べた。DSC00251.JPGDSC00213.JPGDSC00285.JPG

TVを観ながら過ごし、転寝をして、22時半過ぎまで寝てから風呂に入り、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。11/17時点の実行再生産数は1.34。地元の感染者は2名だった。

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散歩を楽しむ「2020.11.18 秋晴れは公園で過ごす」

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暖かい秋が続いている

公園で過ごすのが一番いい季節

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散歩の成果 

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読書を楽しむ「北野 武 浅草迄」

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タケシの高校時代と大学時代のお話 

なにをしていいか分からずポカンとアパートで寝ていた

タケシが今でも覚えていることが綴られている。

タケシの高校時代は都立高校に入学はしたが只ダラダラと顔を出しただけの高校生活だった。東大や京大に入ったひとがいない高校だったが、家庭は極貧ではないが金持ちでもなかった。親の経済状況から決めたんだろうとタケシは思っている。親に内緒でクラブ活動は軟式野球部に入ったがやる気のない下手な連中の集まりだった。アホらしい高校を卒業して、明治大学工学部に受験して受かった。新校舎が神奈川県の生田にできて通うことになったが片道2時間の通学時間だった。満員電車内での痴漢話や異臭話が書かれていた。当時の明治大学は慶応や早稲田や立教に比べて格下で最初の1週間でタケシは嫌気が差していた。1年生の夏休み前に学校へ行く気がなくなり、夏休みが終わった頃には新宿より先に行かなくなった。新宿の地下にあるジャズ喫茶に潜り込んで、よくわからない、うるせえだけのジャズを大人しく聴いていた。そしていつの間にか友達ができ始めた。相手は店の常連客だった。映画の仕事人とか作家志望とか、前衛芸術関係が多かった。大学では名古屋から来た学生と友達になり、彼の下宿先で安酒を飲んで一晩じゅう話をしているのが楽しかった。ジャズ喫茶で知り合った杉山くんとは酒を飲みながらジャズを聴き、いろいろな話をした。彼を通して映画監督やジャズマン、芸術家と知り合い、会話についていけず、本を買ったり、わけの分からない映画や舞台を見たりして、母ちゃんのくれる小遣いでは足りず、昼間は土方や荷役、夜はジャズ喫茶のボーイなどをやって生活費を稼いだ。たまに大学に顔を出す程度で4年生になった。毎日学生らしいことはなにもせずに暮らしていた。友人とアパートを借りたが家賃が払えなくなり、アルバイトでタクシーの運転手をして懐具合をよくしたが夜中に友達とタクシーで海へ無断で遊びに行って首になった。新宿の多くの仲間は出身地へ戻っていった。タケシの高校・大学時代は不毛のまま終わった。考え方を変えれば良き時代でもあったと言える。そしてタケシを支えた最大の功労者は母親だった。