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ケーブルTVで映画を楽しむ「夫婦フーフー日記」

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作家志望の旦那・コウタは

本好きなヨメ・ユーコと

出会って17年目にして結婚

直後、妊娠とがんが発覚し

入籍から493日後、ヨメは亡くなったが

死んだはずのヨメが、ダンナの前に現れた!

悲しみに暮れる中、闘病ブログ出版の話が舞い込み、ダンナは念願の作家デビューと現実逃避。ところがそこへ、死んだはずのヨメが現れた!果たしてこれは、幻影?現実?ヨメのいない世界で、死んだはずのヨメと、ヨメが元気だった頃を振り返るダンナ。やがて、生きている間には伝えられなかった、それぞれの想いが溢れ出す。(チラシより抜粋)

実在の闘病ブログの映画化。ヨメは大腸がんだった。チャンネルNECO



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2023年3月10日(金)昼飲み計画

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息子たちとの飲み会を新型コロナウィルスの影響で

中断していたが

ようやく今月昼飲みという形で開催する

いつも個室で飲み会はやっているのでコロナ感染のリスクは少ない。新宿の台湾料理のお店以来でお楽しみでもある。70代と40代の息子ふたり、親父は健康寿命を過ぎた高齢者、なんでもできるときにしておくことが大事だ。

朝食をつくり朝ドラを観ながら細君と食べる。エアコンは使用しなくてもいい陽気になった。床暖房も室温が22℃になるとスイッチを切っている。

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ゴミ出しをしてから、洗濯物を干して、部屋をモップで掃除をした。

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新聞を読んでから、トマトジュースをドラッグストアーへ買いに出た。家に戻り、細君とお茶した。

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昼食用近所のパン屋でサンドパンを購入した。食事の前に細君と買い物へ出た。体力回復の散歩を兼ねている。

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昼食をサスペンスドラマを観ながら食べた。

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午後は読書をした。細君は昼寝を始めた。14時に洗濯物を取り込んだ。

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我が家の飲み会はメールで誰かが言い出せば決まる。次男が通常は幹事で父親と長男が参加している。孫の入学祝いを渡すため東京へ出て、そのついでに昼飲みをすることになった。

18時に点眼して、19時から野球を観戦した。晩酌して、回鍋肉をおかずに夕食を食べた。

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野球は韓国に先制されたが結果は13対4の試合結果で日本の勝利。風呂に入り、ブログの更新をして、ごきげんようおやすみなさい。3/9時点の地元の感染者は今月2回目の0名。3/10時点の実効再生産数は0.94。

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明日は自治会の年度末の会合が朝から昼まである。


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読書を楽しむ「夏川草介 レッドゾーン」 

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長野県の片田舎にある病院「信濃山病院」の

臨床現場の過酷な現実の物語

それは、新型コロナウィルス感染症が

横浜にクルーズ船が入港して確認された

令和2年2月からはじまった

令和2年2月3日。横浜港に大型クルーズ船が着岸した。信濃山病院の内科医・日進は自宅のテレビで中国武漢を震源地とする正体不明の感染症のニュースに耳を傾けていた。47歳の日進の専門は肝臓で未知のウィルス性肺炎に向き合うような条件はどこにもなかった。ところが2/12院内で緊急会議が招集され、突然コロナ患者の受け入れが通達された。院長の南郷が「横浜近郊の病院は受け入れが満床になり、国から全国の感染症指定医療機関に受け入れ要請が発出された」と報告された。そしてA病棟の奥にある二つの大部屋が感染症病棟になった。80代のクルーズ船の患者が2/16に搬送されてきた。患者は元気だった。内科部長の三笠が主治医を引き受けた。感染力不明、治療薬なし、中国では死者多数くらいの情報しかなかった。院内の衝立にグリーンゾーンの張り紙が張られた。感染リスクのない領域という意味だった。イエローゾーンはウィルスの付着した防護服などを脱いで廃棄する領域。そしてコロナ患者が入院している領域が防護服なしでは立ち入りが禁止されたレッドゾーンだった。2/19東京へ出張していた32歳の男性が肺炎を発症した。58歳の男性が中国上海へ旅行に出かけ、長野の自宅に戻ってから発熱したが一般の病院で受け入れを拒否され信濃山病院へ搬送された。三笠はコロナ診療チームを発足させた。三笠と消化器内科の敷島と日進がメンバーだった。内科医は別にいたが高齢や若すぎるという理由で医療者側の安全確保のために3人が選ばれた。クルーズ船の感染者が174名になった時点で神奈川県内の病院では受け入れができない状態になり、原因は未知の感染症に対して一般病院が受け入れを拒否したためだった。信濃山病院の医師たちの2年と3ケ月のコロナ感染症に対する医療現場の過酷な現実を知ることができる。そして医師たちのこどもは父親に言う「コロナの人、助けなくていいの?」と。

病気で苦しむ人がいたとき、医師だから手を差し伸べるのではなく、人間だから手を差し伸べるのです。治療法のない感染症では医学は役に立ちません。これは誠実さの問題と何人も心得なければならないことです。そういうことを教えられた。


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